ぼくログ

娘の愛らしい日々を父の目で書いています。

中秋の名月に漱石を思う話

f:id:bokulog0721:20171004235129j:plain中秋の名月、いかがお過ごしですか?

今日はやけに空が明るいと思い見上げてみると、美しい満月が浮かんでいた。

そういえば中秋の名月だったと思い、妻に月がきれいだと伝えると、あら、私もよ、という、頓狂な答えが返ってきた。

いつからそんなに自信過剰な女になったのか?と驚きを禁じ得なかったが僕は幸せ者だな、と、合わせておいた。


先日こんなことがあった。

仕事で人と会う約束をしていた。初対面なので、仲介してくれて人に少ししつこいぐらい名前を確認した。相手の名前は「吉川さん」だった。

さて、先方と顔を合わせ開口一番「よしかわさん、初めまして」と笑顔で挨拶すると、少し怪訝な顔をして、「きっかわです」と返された。

ワタシは名前を間違えたことに動揺し、ああ、吉川と言えば晃司ですよね、などと訳の分からないことを口にしてしまう始末で、その後
苦痛の1時間を過ごすことになってしまった。

しかめっ面の「きっかわさん」の顔がブルドックに見えて、少し愛嬌があったのがせめてもの救いである。


そういえば自分も名前を間違えられることがある。ワタシの場合は仮に名前が「大川」だとして、「おおがわ」と読むところを「おおかわ」とよまれる、といったレベルなのだが。

では自分が名前を間違われたときに、咄嗟に訂正するか、と言われれば、たぶんできない。そちらかというと相手に合わせて愛想笑いをしてしまう。

思い返してみると、中学校の三年間、ある教師に「おおかわ」と呼ばれ続け、ついぞ訂正する機会を得なかった。


きっかわさんがブルドックなら、ワタシはさしずめチワワだろう。

チワワは常に震えて、目は潤み、弱そうだ。すぐに相手に強い態度をとられてしまう。時々ブルドックがうらやましくなる。

でもチワワでいる限りとりあえず嫁の機嫌は損ねずに済みそうなので、もうしばらくこのままでいいか、とも思う。

そう考えて漱石の小説の冒頭部分を思い出した。


知に働けば角が立つ、情に棹させば流される、意地を通せば窮屈だ、とかく人の世は住みにくい

あれ?漱石と言うと月が綺麗は何とやらって言ってたような。