ぼくログ

娘の愛らしい日々を父の目で書いています。

生後半年の子供と楽しく遊ぶ方法

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娘氏が無事7ヶ月目に向かおうとしている。今まではおっぱい吸うマシーンだった娘氏も、人らしい動きができるようになってきた。

さて、ワタシの最近のブームといえば、娘氏と遊ぶこと。
今日は、日々仕事に勤しむが故に子供との距離感に悩むお父さんたちに、子供と楽しく遊ぶ方法を伝えたい。

タオルかけ

遊び方はいたって簡単。子供の顔にタオルをかける。ただそれだけである。

だが、侮るなかれ。人間のとっさの判断力が見られる奥深い遊びなのだ。

今でも忘れられないのが、始めて娘氏の顔にタオルをかけた時だ。あの困惑した様子。タオルを取ろうともがき、空を切る手。ああ、なんと必死な姿なんだ。

しかし娘氏があまりにもつらそうなので、10秒もたたずにタオルを取ってあげる。

すると、娘氏は自分を救ってくれたワタシを見て満面の笑みを見せる。なんという可愛さなのか!

これは癖になる。ワタシは来る日も来る日もタオルをかけ続けた。

今となってはどうだろう。タオルをかけた瞬間に、娘氏はタオルを顔からとってしまう。

そしてタオルの陰から覗く、娘氏の冷たい視線。

最近はその冷たい視線を見たくてやっているのは、秘密だ。

発狂ゲーム

娘氏は近頃感情を表面に出すことが増えてきた。そして、感情が高ぶると大声で叫ぶようになった。

娘氏があまりにも楽しそうに叫ぶので、私も負けじと大声で叫び、喜びを分かち合う。

娘氏がぎゃーんと叫べば、ワタシがうぉーんと叫ぶ。

娘氏があーーーーと叫べば、ワタシがあうーーーーと叫ぶ。

次第に気持ちがなえてくる娘氏を差し置いて、ワタシのボルテージは上がっていき、最終的に一人で叫び続けることになる。

叫び続けるワタシをよそに、お気に入りのぬいぐるみを舐り続ける娘氏。

女心と秋の空は変わりやすいというが、娘氏は生後半年にして女になったようだ。

発狂ゲームは、我が子の末恐ろしさに気付くことのできる大切なゲームなのだ。

スーパーイタイワニー

生後半年を過ぎたころから、娘氏の口に白いものが見えるようになった。

そう、歯が生え始めたのだ。

歯の生え始めは何やらかゆい、というのが通説らしく、我が家の嫁は、しきりに娘氏の身を案じた。

ワタシも同じように案じるのだが、やはり娘氏の成長を目に焼き付けたいという思いが強く、娘氏の口元に手を近づけて、口を開こうとする。

最初は嫌がっていた娘氏も、近頃はワタシの要求をのむようになってきた、と思っていた。

しかしこれは新たな闇のゲームの始まりだった。

1、ワタシが娘氏の口元に指を近づける。

2、ワタシの人差し指が娘氏の下の前歯に触れる。

3、娘氏の上あごが勢いよく降下する。

まさにスーパーイタイワニーの上顎装填バージョンである。

子供の歯がすべてそうなのかは知らないが、我が家の娘氏の生え始めの歯は、のこぎりのようにギザギザしているので痛さは倍増である。

しかし、痛みを感じるということは、それだけ娘氏が成長している証。

娘氏の成長を感じるため、ワタシは今日も闇のゲームに興じるのである。

賽の河原ごっこ

娘氏はお座りができるようになってから、飛躍的に握力が上がり、大抵のものはつかんで持ち上げることができるようになった。

嬉しいワタシは早速積み木を買い与えた。

当初は積み木を歯固めの道具と勘違いして、ハムスターよろしくガジガジと積み木に傷をつきる日々が続いた。

一向に積み木らしい遊びに移行しないのでつまらなくなったワタシは、自分で積み木遊びをすることにした。

今は下僕として日々労働に勤しむワタシだが、これでもかつては積み木界のプリンス(自称)や、積み木ブラフマー(詐称)と呼ばれたワタシ。ひさびさに積み木遊びに腕が鳴り、なかなかの建造物を築くにいたった。

娘氏そっちのけで悦に入ったワタシは、自分の建造物を写真に収めようとした。

そのときである。

慈悲無き一撃が天から落ち、ワタシの建造物は粉砕された。

神とは誰だ?そう、娘氏だった。

娘氏は破壊した建造物をみて、悦に入っていた。ワタシがブラフマーなら、彼女は差し詰めシヴァといったところか。

この日を境に、娘氏の積み木遊びに変化が生じた。

彼女は賽の河原に降り立ったシヴァ神で、ワタシは石積みの刑に処された子供である。

来る日も来る日も、積み木を積み上げては破壊される日々。

賽の河原からでられる日は来るのだろうか……。

ビックリもぐらたたき

娘氏は半年を目前に目の前のものに手を伸ばすことを会得した。

特にお気に入りなのは、だっこしたときにちょうど目の前にやってくるワタシの目だ。

初めはたまたまだと思った。なんとなく目の前にあるものに手を伸ばしているだけだ、と。

だが、そうでないことがすぐにわかった。娘氏はワタシの眼球を的確に狙っていたのだ。

ワタシも負けじとまぶたを閉じる。何度かまぶたをつつく感触を感じるが、娘氏の力ではまぶたの壁を貫くことはできないようだ。ワタシは勝利を確信した。

のも束の間、まぶたを開けた瞬間に娘氏の人差し指がワタシの目をブスリ。娘氏を抱きながら悲しみの咆哮を上げた。

娘氏は生まれながらに急所を突く凶暴性を兼ね備えていたのだ。末はアマゾネスかグラップラーであろう。


以上が、娘氏とワタシの日常である。

このスキンシップが今後の人格形成にどういう影響を及ぼすかわからないので、今後も娘氏の成長を見守っていこうと思う。

もし先輩お父さん方で、それはちょっと……と思われた方。手遅れになる前に忠告のコメントを頂きたい。

投票所は不思議な話

f:id:bokulog0721:20171023000855j:plain秋雨続く10月、いかがお過ごし?

本日は投票日だった。

毎回投票所に行く度に思うだが、投票所の雰囲気って不思議な雰囲気を出している。


- ハンターの視線

投票所はとりあえず人が多い。投票する人より、職員の数が多いのである。

たぶん暇なのだろう。ワタシが投票所に入った瞬間に、視線がこちら。こ、怖い……。

みな、自分の仕事が来た!と鋭い視線を向けてくるのである。しかし彼らがすることと言えば、投票のはがきをちぎる人、その番号を控える人、投票用紙を発見する人。それぞれ5秒で終わる仕事のために、何時間も拘束されている。

この拘束時間が彼らをハンターに変えてしまう。

- 監視の視線

さて、投票用紙に候補者の名前を書こうとする。しかし、背後に視線を感じる。ちょっと振り返ると、明らかにこちらに向けられていた視線が、所在なさそうに宙を舞う。

気を取り直して、投票用紙と向き合うと、視線に乗って、こんな声が聞こえてくる。

あなた、誰に入れちゃうの?そっちなの?え?ほんとにその人政策に全面賛成なの?いいの?

とりあえず、視線が気になって仕方がない。視線が気になりすぎて、名前を間違えないか心配になってしまう。

- 新たな刺客

次に支持政党と最高裁判事の投票。こちらに来ると選挙立会人という新たなキャラクターが現れる。これがまた見てくる見てくる。

あれ?その党指示しちゃうの?つか、地元の候補者以外の政党も投票できるの知ってる?ねぇ?わかってんの?しってんの?あれ?そこ投票しちゃうの?ほんとにその党に君の一票入れていいの?どうなん?どうなんだい?

つか、判事の仕事内容知ってる?あれ?×つけちゃうの?×だけに罰与えちゃうの?あれ?結局×しないの?臆したの。臆しちゃったの?

もうここまで来たら、何がなんだかわからない。投票に来ているはずなのに、禅問答を受けた気分で、投票箱に投票用紙を頬りこむ。

- 最後の品定め

こんな感じで終始視線を送られ、投票所を出る。

しかし、出口までのほんの5Mでも、まだまだ視線は降り注ぐ。彼らの目は、スーパーの精肉コーナーで肉を見る主婦のそれである。品定め感覚なのだ。

どんな人間が選挙に来てるんだ?お前、ほんとに投票するに見合った人間なんか?おお?どないなんや?お?

こちらも負けじと胸を張るが、なんともそわそわしてしまう。

- 投票は怖い

こうして今回もきっちり国民の義務を全うし、権利を行使してきた。

そして思った。いっぱしの国民として生活するには、なかなかストレスが重なるものだ。

脇の匂いが気になる話

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秋の夜長、いかがお過ごし?

近頃はめっきり涼しくなって、汗をかくことも少なくなった。ワタシはやせ型なので、ほとんど汗はかかないのだが、それでも汗をかくと気になってしまうのが”臭い”のである。日本人の体臭に対する考え方は引き算だといわれ、無臭こそが美徳だとされる。動物はみな体臭を発しているというのに、なんとも生きづらい世の中である。

先日職場での出来事。

女性職員2人が、ワタシの座席付近でなにやらこそこそと話をしている。聞くともなしに聞いていると、なにやら、臭いについて話のようだ。香水はどうだとか、あの制汗剤がイイだとか、たわいもない話だった。しかし片方の女性が切り出したある一言で、会話の内容は一変した。

「ところで○○さん。におわへん?」

明らかに声のトーンが下がった。まぎれもない個人攻撃。しかも気になることに、○○だけ、聞きとれない。
問いかけられたほうも、「待ってました」と言わんばかりににやにやとしながらうなづいている。

彼女たちにとっての本題は「〇〇さん」であって、その前の女子トークはマクラだったということか。

結局「〇〇さん」が誰であるのかはもちろん、どこが臭うのか、どんな臭いなのか。一切わからなかった。
ただその会話の内容を集約した結果はじき出された事実、それは、彼女たちが”ワキガ”について話している、ということだった。


ワタシはこと”ワキガ”というワードに敏感である。何を隠そう、ワタシはワキガ予備軍なのだから。(たぶん)

スーツをきるようになって気付いたのだが、人より汗をかく量は少ないが、脇汗だけ異常にかく。
興味本位で脇を嗅ぐと、汗、だけではない、何やら不思議に香りが漂う。

幾度となくグーグル先生に解決策を相談したが、返ってくる解答は”ワキガ”だった。そして続く言葉はワキガは悪、存在意義なし!よって徳を積んで来世に期待をかけろ、だった。

さて、先の女性職員二人は終始私のそばで内緒の女子トークにいそしんでいた。ここから考えられるのはふたつの可能性である。

一つ目は、臭いの発生源がワタシではない、もしくは、ワタシが発生源だと気づいていない場合。ワタシは彼女たちからすればノーマークの存在なので、会話内容が聞かれても大丈夫なわけだ。

憂慮すべきはもう一つの可能性は、個人攻撃を仕掛ける、もしくはワタシへの警告を込めている場合である。こちらの場合、相手は明らかな敵対意識をもってワタシに接しているということになる。

しかも同じチームで約3年近く働いてきた同僚が、である。今まで笑顔で接してくれていたのは何だったのか、冗談をいいあって笑っていたのは何だったのか。

仮に個人攻撃の対象が私だった場合、彼女たちの作戦は大成功だといえる。彼女たちの会話はワタシの心に深いキズを残し、ワタシにしたたか脇汗をかかせたのだから。


いまや娘氏の下僕にクラスチェンジしたワタシには、自分の脇をいじるほどの資金は残されていない。でも、せめてものエチケットとして、制汗シートぐらいは胸ポケットに入れて行動できる男になろう。そう思い、家路についた。

中秋の名月に漱石を思う話

f:id:bokulog0721:20171004235129j:plain中秋の名月、いかがお過ごしですか?

今日はやけに空が明るいと思い見上げてみると、美しい満月が浮かんでいた。

そういえば中秋の名月だったと思い、妻に月がきれいだと伝えると、あら、私もよ、という、頓狂な答えが返ってきた。

いつからそんなに自信過剰な女になったのか?と驚きを禁じ得なかったが僕は幸せ者だな、と、合わせておいた。


先日こんなことがあった。

仕事で人と会う約束をしていた。初対面なので、仲介してくれて人に少ししつこいぐらい名前を確認した。相手の名前は「吉川さん」だった。

さて、先方と顔を合わせ開口一番「よしかわさん、初めまして」と笑顔で挨拶すると、少し怪訝な顔をして、「きっかわです」と返された。

ワタシは名前を間違えたことに動揺し、ああ、吉川と言えば晃司ですよね、などと訳の分からないことを口にしてしまう始末で、その後
苦痛の1時間を過ごすことになってしまった。

しかめっ面の「きっかわさん」の顔がブルドックに見えて、少し愛嬌があったのがせめてもの救いである。


そういえば自分も名前を間違えられることがある。ワタシの場合は仮に名前が「大川」だとして、「おおがわ」と読むところを「おおかわ」とよまれる、といったレベルなのだが。

では自分が名前を間違われたときに、咄嗟に訂正するか、と言われれば、たぶんできない。そちらかというと相手に合わせて愛想笑いをしてしまう。

思い返してみると、中学校の三年間、ある教師に「おおかわ」と呼ばれ続け、ついぞ訂正する機会を得なかった。


きっかわさんがブルドックなら、ワタシはさしずめチワワだろう。

チワワは常に震えて、目は潤み、弱そうだ。すぐに相手に強い態度をとられてしまう。時々ブルドックがうらやましくなる。

でもチワワでいる限りとりあえず嫁の機嫌は損ねずに済みそうなので、もうしばらくこのままでいいか、とも思う。

そう考えて漱石の小説の冒頭部分を思い出した。


知に働けば角が立つ、情に棹させば流される、意地を通せば窮屈だ、とかく人の世は住みにくい

あれ?漱石と言うと月が綺麗は何とやらって言ってたような。

育児二軍コーチに就任した話

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秋の夜長、いかがお過ごし?

我が家の就寝時のスタイルは、娘を真ん中に挟んだ川の字である。これの利点はなんといっても、娘氏の無防備な寝顔を眺めながら眠りに落ち、娘氏の愛らしい笑顔に迎えられて目覚められることである。ただしこの世の常は一長一短。デメリットも存在する。

娘氏が目を覚ました。夜中の三時であった。初めはか細い鳴き声だったが、次第に声量は増し、リサイタルの様相を呈してきた。

娘氏なりの必死の言葉は、しかし、ワタシの耳には呪文にしか聞こえない。君の言葉を受け止められない父を許してほしい、と思いながら、心の内では

嫁よ!娘氏が呼んでいるぞ!

と叫んでいた。

しかし、5分経てど10分経てど、嫁が目覚める気配はない。薄目を開けて隣で眠る妻を確認する。常夜灯に照らされた妻の横顔はまさにト〇ール。口元はたいそう緩み、目元にはうっすらとしわも刻まれていた。

あぁ、日々苦労をかけているのだな。そう思うといたたまれない気持ちになったワタシは、自分のココロに発破をかけた。

眠い目をこすり、リサイタル続行中の娘氏を拾いあげる。

抱きかかえられた娘氏は、突然視界が開けたことにテンションが上がったようで、しきりに私ののどぼとけを平手打ちしてくる。そんな娘氏をあやそうと体を揺らすワタシ。その動きをモッシュと勘違いし、リサイタルはアンコールに突入した。

待てど揺らせど寝入るそぶりを見せない娘氏。すでに朝の四時を過ぎようとしている。テンションはまさにうなぎのぼり、いや鯉の滝登りを連想させる。このままでは、娘氏は天才に進化してしまうかもしれない。そんな不安が頭をよぎったとき、娘氏が今朝一番の奇声を上げた。

とてつもない声量は嫁の耳にも届いたようだった。

こっち連れてきて

さも、ワタシが嫁の眠りを妨げたかのような口ぶり。心外であったが、今の嫁には取り付く島もなさそうだ。

娘氏を嫁のもとに連れていくと、乳を放り出しスタンバイしている嫁の姿。言われた通りに娘氏をセットする。

嫁の乳にむしゃぶりつく娘氏。さすがワタシの子。むしゃぶりつき方がどことなく似ている。授乳を始めて約3分、娘氏は寝息をたてていた。今日のリサイタルはよほど出来が良かったのである。どこか誇らしげな寝顔だった。

続いて放り出した乳を片付けもせず、嫁も寝息を立て始めた。ベッドの横でその様子を眺めていたワタシは、気が付けば一人ぼっちにされていた。

男は育児において、二軍である。しかも監督ほど花形でもない。その虚しさを噛み締めたAM5:00だった。

自分の心に蓋をした話

f:id:bokulog0721:20170924081424j:plain1つで2つも3つも楽しめるものは、好まれやすい。1枚で1週間という特集が組まれたり、プールとサファリが一緒に楽しめるテーマパークがあったり。

娘氏が妻のお腹におじゃまします!してから、妻の〇っぱいをおさわりする機会が減った。というか、もの凄いごく拒まれるようになった。

娘氏が外界のこんにちは!したら解禁か!?と思っていたら、お〇ぱいは娘のモノになってしまった。満ち足りた表情で乳にむしゃぶりつく娘氏。それを苦虫を噛み砕いたような顔で見つめるワタシ。

それでも最近は落ち着いてきたようで、台所に立つ妻のおっ〇いをさわってもしかられなくなってきた。

しかし新たな問題が発生した。左の胸を揉む。うん。これこれ、これがほしかった。右の胸をもむ。あれ?左の胸をもむ。これこれ、これだよ。右の……。

明らかに右の胸がデカいのである。正直に言うと、薄々感づいてはいた。正面から見ても明らかに右胸が主張しているし、前屈みになると右胸が高いため、左胸が服の隙間からこんにちは!しているのも何度か目にした。

右胸だけ成長している!なんという左右非対称。かつての日本人は左右非対称に美を感じたというが、西洋文化に毒されたワタシには不快に感じられた。

しかしだ。ここで1つ冷静に考えてみる。かつて高校生だったワタシは、携帯電話とデジタルカメラをカバンに詰めて出かけていた。それが今やスマートフォン一つでことが足りる。ワタシが仕事で使う複合機は、印刷はもちろん、スキャンにファックスにも対応と、一台三役の活躍を見せている。そういえば、伝説的な声優、野沢雅子サマだって、悟空に加えて、悟飯や悟天の声も出してたっけ。

そう、これはまさに発想の転換だ。左右非対称は1つで2つのおっぱ〇をもむことが出来るのだ。いつもの〇っぱいに飽きれば、膨らんだお〇ぱいを。膨らんだおっ〇いに飽きれば、いつものおっぱ〇を。神様、ありがとう。これで当分楽しめそうです。

そんなことを考えていると、心の片隅で、ワタシが敬愛する吉田のおじいちゃんの声が聞こえた。

人の心は素直ではないから、自分を偽るということが無いわけではない。しかし、初めから正直な人なんてどこにいるだろうか(いや、どこにもいない)。
徒然草 85段 抜粋

ムムム、ごまかしてなんかないもん。

届きそうで届かない話

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追いかけても 追いかけても
逃げていく 月のように
指と指の間をすり抜ける バラ色の日々よ
THE YELLOW MONKEY 『バラ色の日々』

次第に夜が長くなってきた9月。いかがお過ごしですか?

求めれば求めるほどに、欲しいモノは遠ざかっていく、というのは、世の常というもの。

遠く彼方の青春の日々や、結婚当初の初々しさ、目の前にあるソファークッションだって、手を伸ばしても届かないのである。


先日、娘氏の顔にタオルをかけて、「あれ!?前が見えない!!」と困惑するゲームをしていた。しかし子供の成長とは恐ろしいもので、ものの2、3分で、タオルをあっさりはがすようになり、5分後には冷たい視線を返すようになってしまった。仕方がないので困惑ゲームを終了し、娘氏観察ゲームを始めたところ、すぐにうつ伏せになり、涎を精製、排出し始めた。

ここまでは普段の娘氏であったが、少しすると腕を巧みに使って、前進するそぶりを見せるではないか!下僕としてこの瞬間を写真に収めなくては!と思い、五十枚ほど写真を撮ったあと、どうしても前進する姿がみたくなった。考えたあげく、娘氏お気に入りのソファークッションを餌にして、前進させることにした。

娘氏は必死に手を伸ばしクッションに手をかけんとする。しかし届かない。それもそうだ。前進せねばとれない位置にクッションをおいているのだから。

必死に手を伸ばし、クッションを求める娘氏。その努力が実り、ついに手のひら一つ分ほど、腕を前につくことに成功した。あとは前進するのみ!そう思われた瞬間、娘氏の体はゆっくりと後ろに動き出した。

発育段階に置いて、はいはいの前に後ずさりをすることがあるそうだ。娘氏は後ずさることを覚え、同時に人生の辛酸をなめたのであった。

しかし娘氏よ、イエモンはこの後こうも歌っている。

砂漠の荒野に倒れても 長い鎖につながれても
明日は明日の風の中で飛ぼうと決めた
バラ色の日々よ バラ色の日々よ

娘氏よ、これからもチャレンジ精神をたぎらせて、成長してくれ。


バラ色の日々- THE YELLOW MONKEY LIVE @ TOKYO DOME, 2001